教会音楽セレクト
マタイ受難曲 合唱「「娘たちよ、来て、わたしとともに嘆き悲しめ」
・・・・・・・・・・・・・・・■こちらはリンク→ J.S.バッハマタイ受難曲
コラール「血潮したたる主のみかしら」MATHEW54.MID

2007年02月15日

はじめに

キリスト教の教会で「お葬式」ができますか?
という質問があれば、
ご一緒に考えてゆきたいと思います。

生前に死ぬときのことを考えるということに
抵抗があるでしょうけれども、
生まれた後になって「どのように生まれようか?」
とは、考えられないかわりに
死ぬ前に「どのように死のうか?」と
考えることができます。

「どのように」と言っても、
もちろん死因について考えるのではなく、
死を迎える準備と
実際の「葬儀」ということが、
中心になると思います。

そういった時に、
「信者でないけれども
キリスト教で葬儀ができたら」
という考えが浮かんだのなら
そのことについてお手伝いする
ブログを立ち上げることにいたしました。

その他、
信者でないけれども
キリスト教・教会での行事への参加、
「冠婚葬祭」に関する儀式を受けたり
できるだろうか?という
ご相談もお受けしたいと思います。

実際、信者でなくても
結婚式を教会で挙げるケースは
多いと思います。
それ以外の「式」についても
考えてみましょう。
posted by ハティフナット at 00:00| Comment(34) | TrackBack(8) | はじめに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月14日

天国のへの階段

■死んでから行くところは
「天国」というイメージがあるが、
キリスト教の「終末論」から言えば、
終わりの日に死者のよみがえりがあり
その時までは、
この世を去るということであり、
「葬儀」また「逝去者記念の式」において、
日々の「聖餐式(ミサ聖祭)」において、
世にある人と世を去った人との全公会
(天上に存する目には見えない教会
及び、この世に現実に存する教会)
が、ともに「み国(天の国・神の国)」に
至ることができるようにと祈るのである。

■仏教で言う「西方浄土」もまた
死んでから行くところではなく、
現世における「心の有り方」と
説明されることもあるが、
キリスト教においては、
聖書を通してイエスが
「神の国は、あなたたちのただ中にある」
と言っているように、
明らかに、死んでいくところが天国
という教えは無いと思われる。

■天国(天の国・神の国)とは
神が支配する国
(国というのもこの世のイメージだけど)
であって、死の向こう側という
いわゆるあの世ではない。

posted by ハティフナット at 00:00| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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